燭台(怪) 蜻蛉


いつもいつまでもお世話になっております、燭台(怪)の蜻蛉です。

世界的に有名なレーベル「解散レコード」代表の藤宮タクと初めて出会ったのは厳密にはいつだっただろうか。
結構真面目に調べてみたところ2003年5月27日の江古田ドロシー「弟22回 フちゃんの誕生祭」でした。
15年以上前かよ…当時私は早稲田大学ヴィジュアル研究会に所属しており、そのサークル友達に連れてきてもらったんだな(バンドやってた子)。黒髪(現・真剣に解散を考えている。)で作家の架神さんが大学の先輩だったってこともあって一回見に行ってみるかーって軽いノリで。
まだ10代の少年カゲロン…超バンギャル男時代だけど、所謂普通のV系のライブしか行ってなかったので、なんだかよく分からないシュールなイベントに衝撃を受けた気がする。正直楽しかった記憶は殆ど無い!笑

アム(この時はまいくさんがボーカルじゃなかったんだな)、フちゃんの黒髪文化祭(真剣に解散を考えている。の全身。てかこの日に真剣に改名)、ゐんちき、なま×2破廉恥Jr.、マモノが出演…これは滅茶苦茶覚えてるわ。
藤宮さんはあんまりフレンドリーじゃないので(笑)、印象はイマイチ良くなく、それと対比するかのようにまたりかさん(現・燭台、真剣)がフレンドリーにニコニコしていたことを記憶している。

そんなに楽しくなかったくせに、何故かその後、7月21日の新宿ペンタでの「黒髪ロックフェスティバルVol.6~山田、BANDやろうぜ~」に行く(多分この前に無善寺にも行ってるわ)。
この企画は藤宮さんはじめ解散レコード界隈(当時はアム界隈と呼ばれていた)皆の人間性を疑うような本当に酷い企画で、色々フォローしながら書かざるをえなくなり超長くなるので割愛(笑)。

その後9月1日&10月1日と立て続けに大久保水族館でのイベントへ。
30分間延々とメガネの歌を聞かされたり(只管メガネをかけたり外したりしてるだけの映像がフル収録されてるビデオもあったな)宅八郎やエーツー、国、ももぴえさん等、今迄のバンギャル男時代をひっくり返すような人達のライブも見て、「良いってなんだろう」「面白いってなんだろう」というごちゃまぜの気持ちが私の中で暴れていて、だいぶ感覚はおかしくなってきた頃…。
そしてスタジオだったり飲食店だったり公園だったり無善寺だったりと、ライブとはライブハウスでやるものであるという概念を覆すようなイベントの数々に私はだんだん興味を持っていきました。
もっというと「ライブ=音楽をやる」と決まっているわけではない、もっと自由で良いんだってのを嫌というほど思い知らされた瞬間でした。

そんな中だ、私もいよいよアム界隈に足を突っ込む出来事が。
大学の先輩である架神さん達とサイクロプスというジャンプ狂愛バンドを結成することになり2005年4月11日のアム主催で遂に対バンすることになった(この時はVoはもうまいくさん)。
因みに対バンはアムの解散、サイクロプス、じゅげむ、空想革命、宅八郎、エーツー、国、小笠原美佳、ザ!ナメックバスターズ(緑塗将棋ユニット。枝豆マンのヒントは此処から貰っている)というクレイジーな面子!笑
中高時代は何度もライブハウスのステージに立ってきた蜻蛉さんでしたが、ブランクがありすぎて、そしてもう既にファミリ―的な輪が出来上がってしまっている中にいきなり入るわけで、最高に緊張!
アムの二人に挨拶しましたが、イマイチな感じで…笑。藤宮さんはもう何度も会ってたからまだアレでしたが、当時はまいくさんの感じも悪すぎて!爆笑。

そして私もファミリーになりたい!と決定付けたイベントが2005年8月14日のアム主催「弟2回 ルート狂愛」である。
このイベントは今思い出しても完璧だといえるくらいの内容でサブステージは勿論、ルートのトイレまでもルート13としてステージにしてしまうという画期的な企画。
対バンも最高に良くてアムの解散、イビルキック、Kharn、kehre、ファントロノゥム、モノラルカーヴ、架神恭介、ルート劇場feat.藤野哲也(ルート14店長)、空想革命、顔がない、マリ&リンマンションというV系あり、白塗あり、ギャルバンあり、なんだか分からないバンドあり、トークやお笑い、弾き語り、最終的にはライブハウスの店長までも出演し、その日作った「ルート狂愛ラブソング」まで無配されるという夢のようなイベントだった。
因みに当時住んでた家はルートの近所だったので、ルート14は何度も足を運んでたライブハウスであり、そこも含めてこのイベントが一番印象に残ってるんだと思う。
私はこのイベントが100点だと思っているので、自分でストレートではないイベントを企画する時にいつもこのイベントのDVDを見返して思い出すようにしています。

このイベントの後からだ。もう何かにつけてアムに関わろうと勝手にローディー的にくっつきだしたのは…。ワシもアム界隈の仲間になりたいと!
追いかければ追いかけるほど、アムの曲の格好良さやイベントの面白さ、界隈の人達の楽しさ優しさに惹かれていったんだなあ。
でも藤宮さんもまいくさんも当時あまりフレンドリーでは無かったので、私は架神さんやまたりかさんに頼りっきりでした。
後は顔がない(デスさんも居たよ)やファントロノゥムも仲良くしてくれたなあ(皆世代も近かったしね)。
そんな感じでずっと弟子にしてください的にくっついてたら、ある頃からステージで風鈴やってとか荷物手伝ってとか言ってもらえるようになり凄く嬉しかったのを覚えている。
無善寺のステージで風鈴振るだけでもしくじったらどうしようって汗が止まらなかったな苦笑。

この辺の頃からもう二人の印象は変わっていおり、言葉数は少ないけど藤宮さんは優しかったし、まいくさんは色々世話を焼いてくれていました。
それから社会人になって茨城に引っ越した後もサイクロプスのライブでアム主催に参加したり、半年くらい四国に居た時もアムのワンマンには飛行機で駆けつけたり(半ば脅し的だった笑)と結構無茶をしましたね。
この時代のアムのライブは殆ど行ってるんじゃないかなあ。

そんなある日、藤宮タクから来たメール…「主催イベントをやるので、蜻蛉君のバンドで出てほしいのですが」。
この言葉が私の運命を変えました。2007年4月7日、燭台(怪)の結成。そこから紆余曲折ありましたが新宿ロフトでのワンマンも大成功させ、一時期程の勢いはありませんがまだ今も楽しく続いています。
分からないことは全部アムに教えてもらいました。自分達では出来ないこと沢山助けてもらいました。感謝してもしきれないくらいです。
本命とかそういう基準で測れない私にとっては特別なバンドです。
アムを親に例えるのはこういうところからなのです。そしてアム界隈も家族だったり親戚みたいな関係だと思っています。

長くなりすぎたけど(そして結構話は逸れたけど)、こんな感じで私は人生の半分近くの凄く大切な時間を藤宮タクと過ごしたわけです。
中高校のバンドやってた頃の青春時代とはまた全然違う、第二の人生のスタートが藤宮タクとの出会いでした。
考え付かないことばかり起こるステージ、ジャンルもルールも関係無い。
そして実験的なこと…試行錯誤は忘れない!本人は試行錯誤とは思ってなかったかもしれませんが…

2019年度、燭台(怪)は12年を迎えアムの寿命を超えます。今迄藤宮タクが行なってきたような今世紀最大規模の優しくて紳士的でちょっと強引なアットホーム意地悪イベントを企画しても良いかなと思いました。藤宮タクにはなれませんが藤宮タクならこうするだろうと思われるイベントを解散レコード界隈の仲間達と勝手にやります。
当時を知ってる人には懐かしいって思ってもらいたくて、知らない人には当時の楽しさを伝えたくて。
アムが解散した江古田ドロシーの燭台イベントでは私はタイムマシンを作ったつもりでしたが、この「帰ってこい藤宮タク」イベントは今を生きる解散レコード界隈を。
皆で盛り上げていければまたタクちゃんがひょっこり戻って来てくれるかも…その一心でこれから藤宮タクが現れるまでこのイベントを続けます。
アム解散の日、藤宮タクからは「蜻蛉君を含めてアムだ」って言ってくれました。
だからこの界隈をもう一度蘇らせたいと思います。
理解し難いものや、PTAから批判されそうなものも出てくるとは思いますが皆さんは感じたコトの中から細心の注意を払って「良いコトだけ」を抜粋して今後のイベント感想を教えて下さいね!ではせいぜい頑張りたいと思います!

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