『藤宮タク氏はカタ屋と変わらないのではないか』市松人形師 岩村亮

藤宮タク氏と出逢ったのは、かれこれ15年以上前である。出逢ったのは私の地元のライブハウス、本八幡ルート14である。

当時の僕は、長いローディ生活を終え、千葉に戻り地元のツテもなくたまたま入ったバンドのメンバーとそのライブを見たとき僕は腰を抜かした。なにをやっているのだ、この人たちは。と。

そう。私はビジュアル系しか知らなかったのだ。

長い年月を経て、私は、小島ホーデン氏と知り合った。当時泣かず飛ばずで解散したバンドの後、彼とバンドを組もうと言う構想があった。それが「見たら死ぬ」である。

見たら死ぬの初ライブは、2011年の無善寺であった。そして、とても久しぶりに彼にあった。藤宮タク氏である。初めて彼とゆっくりお話したのはその時が初めてであろう。残念なことに僕はそのライブ後の打ち上げで怪しい中国人がやってる店のレバ刺しを食いすぎて北国分の一条会病院に入院した。

その後、私は燭台(怪)に加入し、1年近くベースを弾き脱退。その期間にも無善寺ロックフェスや雨降るfesなどのイベントに参加をし、彼との交流は勿論あった。

燭台(怪)を脱退してから、程なくして、地元の縁のあった仲間たちで結成していたバンドyazzmadに合流した。このとき自分の音源のCDをはじめて藤宮さんに差し上げた。とても褒めて下さり光栄であった。二年後、家庭の都合でハイペースなバンド活動を諦めることとなりyazzmadを脱退した。

この頃もうベースは弾くことはないと思っていたが、藤宮さんからのオファーがあり、生アムでベースを弾かせて頂けることとなった。今は亡き神楽坂エグスプロージョンの年越しのカウントダウンアクトという忘れもしないライブであった。また生アムのラストライブにもオファーを頂いたが椎間板ヘルニアの悪化により参加できなくなってしまったのが今まで心残りである。

それから彼は姿を消した。
なぜだ、まさか、カタ屋だからか?
せっかくきれいに着色できたカタをもっていって新しいカタを手に入れようと思っていたのに!そんな気持ちになっていた。

彼の周りには不思議とキャラの濃い方々が集まっていた。彼の人望なのか何なのかわからないオーラに惹かれていたのだろか。私はその方々とのお付き合いはバンド活動を終えてから今までずっと続いている。

また彼に会えるときを心待ちにしているフアーンもバンドマンも変な人も沢山いるだろう。

なので、彼の残した財産を今使うときである。

帰ってこい藤宮タク。

市松人形師 岩村亮
(見たら死ぬ、ex.燭台(怪),yazzmad,As if in the darkness)